アーティストへの道。あと英語の勉強。The Avant-Garde Communication,Education,AND,,,,

2006-06
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世界レベルで比較したら、ぺーぺーもんな俺は何もできず
宇宙レベルで比較したら、雀の涙級以下の俺は何もできず

人間レベルで比較したら、中退ピーポーな俺は変革くらい起こしたいと思っていた 自伝くらい残したいと思っていた



何か文句ありますか
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銀のたてがみ#1

求めていたのは何

求めているのは何


求めているのは その先

極論はわかっている

求められているのは その先

3:34 2006/06/18

「サイレント ウロボロス」




ゼロに成れば何にでもなれるさ 憧れていたものは手を握るよ

道端に咲く青いアヤメは無邪気に泳いでいるだけ

ゼロに成れば何にでも慣れるさ こんな物でくたばるわけでもない

語らない赤みを帯びた造花は光沢が目立つだけ



それでも僕らは澱んでいるの これでも僕らは動いているの

それでも僕らは遊んでいるの これでも僕らは廻っているの



シロに成れば何にでも染まるさ 拭えない過去は手を振るよ

公園に茂る若い雑草は孔雀に化けているだけ

クロに成れば何にでも染めるさ 何度でも染めるさ 滅びたくないから

悟らない歳老いて朽ちた杉の樹は年輪を刻むだけ

陽を水分を欲するだけ



心配を掛けて安心を貰って あげるもの一つもない

ほころんだ顔くらい見せてやれよ 贈り物の一つになるから

掴めない真実をこれ以上抱いても 冷めていくばかり

根絶やしにする前に のろしを上げろ 落ちる前に

今すぐにでも

今すぐに

ゼロに成れば何にでもなれるから 憧れていたものがほら手を握った

足元で踏む青いコケも時期が来れば また生えるだけ

ゼロに成れば何にでもなれるから ピリオドを打って始点と進め

脱ぎ取った皮を食べ尽くすまでは終わりなんてない



それでも僕らは僻んでいるの これでも僕らは気付いているの

それでも僕らは遊んでいるの これでも世界は廻っているの

それとも僕らは狙っていたの?



ゼロに成らなくて何になれるさ 憧れていたものが手を振るよ

酸味で染みた雨のアヤメは汚れた街を映すだけ

ゼロに成らなくて何に慣れるさ 剥き出しのクイじゃすぐ打たれる

酸雨に行く意味の無い造花は光沢で街を映すだけ

ゼロと成って始まりも終わりも全て繋げ 全て紡げ


根絶やしにする前に のろしを上げろ 落ちる前に

今すぐにでも

今すぐに

今すぐだ





そうして

自伝くらい残せば

生かされた宇宙で

生かされた人間でも

生きていた証拠を

人類後輩に

見せ付けたもんだ

それだけが

理性を殺した

人間の本望

微熱日和

ギターコードはAM7の音が好き!!! どうもbcです。

昨日は久しぶりの休みでして、とにかくもう欲求を叶えていた。
午前中は骨を休めて。
午後はなんか、いろいろ動き回ってた。
古本屋で20冊くらい本買ってた。
ファッション、美容、軍事、歴史、漫画、日本文化、美術、図鑑、食物、デザイン、、、、、、、、5000円もかかってしまった。

で、ツタヤでCD借りてた。今旧作CD安くなってる期間だったから。
菅野よう子、ペットショップボーイズ、ケミカルブラザーズ、イエモン、ナンバガ、、、、、、、、、、、、、20枚で2000円もかかってしまった。
借りたいものもあるけど、いかんせん旧作だから、たいして手にはいんなかった。マッシブ・アタックが借りたかった。つか買おう。
最近はノンジャンルで聴く。でも、大体自分の好きと言いますか、やりたい音楽がわかってきていて。そろそろ歩き出そうと。創作活動を。
聴き手としてはナンバガとACIDMANが今No1でございます。




ということで創作活動に集中するので、日記はしばらくお休みします。

創作としての演技

HPでお伝えしていました通り昨日、映画エキストラ参加致しました。
『魂萌え!』という映画ですが、概要等はレポートブログを参照ください。

こちらのブログは私の心理をメインに書いていきます。



まず前前前日に考えたのは、単純に「髪切ろう」と。
社員役で食堂シーンで季節が春で。

髪切ろうと思った、こりゃもう。


美容室で社員風の短髪でもよかったが、
ウルフカットにしました。やや短めの。
茶髪の色は少し残ってた。












演技をするにあたり、自分をすごく客観視しているなと感じた。

例を上げるなら


髪型

表情

服装

歩き方

年齢

性別

髭の生え具合 (全くと言っていいほど、ほどんど生えてないが

視力 (悪くはないが、メガネはしとくべきかなと思ってた

身体障害有無 (もともと中耳炎になりぎみですが

役の人の考え方

クセ



財布

食物の好き嫌い

香水 (そこまでは映像では感じられないが、雰囲気として気分として

肉体的構造 (運動はマラソンしか最近はやっとらん

普段の自分と演技の自分






など







エキストラですから余計な事考える必要はなかったのかもしれません。
「あたし映画エキストラとしてでるんですよ、「へーそうなんですか、、、、

でも、よかったかもしれない。が、が、しかし、

そこに創作として演じるという場所があり、
何も考えないのもまた、自分が演じていて映画を引き立てている一味としてはナンセンス。だと私は思ってしまったのだが





大切なのは、そこでどう自分が考えているかという「位置」である。
演技とはどれだけ自分を見つめているのか、
どれだけ配役と同化できるかが、キーポイントである。














あのさ、人気Jポップ歌手とかが演技とかしますけど、
あれは論外。声と名が通り過ぎている。
どうしようもなく、考えにくいもの。作品。
歌手の名を借りたが為の利益を求めているのか、
その歌手だから演じれるという決定的根拠があったのか
定かではないが、あまり好ましくはない。

その場合の選ばれた基準が知りたい。
顔つきなのか、声の張り方なのか、配役理想像の顔なのか、なんなのか。
どちらにしても利益的な目が大きくて、評価しづらい。

ある仕事からふらついて別の仕事を行うのは、
一つの仕事オンリーで生きて行く人間には失礼であり、ある種迷惑である。
大事なのは「姿勢」である。演技への向かい方である。


北野武やbjorkはそういう意味では、いい姿勢を持っているのではないかと思う。ただ、彼らに好感があるからといって、ひいきぶった目を持ってしまいそうで怖い時があるが、何故良いかと言えば、それはやはり「姿勢」である。bjorkが主演した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で考えてみよう。

映画本編については、ネタバレしてしまうと大分思考が変わるので触れないでおこう。監督と脚本を務めたのが、Lars von Trier (ラース・フォン・トリアー)で、歌手であるbjorkは映画の内容にリンクさせて劇中歌等の音楽を制作した。何故かと言えば「これはミュージカル映画だから」に他ないが、このbjorkの姿勢が好きだった。正直、この映画自体は賛否両論作品ですのでなんとも言いがたいが、映画はそういうものでいいと思っている。感動しかない映画は私はこの上なくつまらなく、ほぼ観ない。感動は引き立てるものであって、最後までそれを求める必要はない。全てハッピーエンドになってしまうから。

bjorkはラース監督と大分討論を交わしたみたい。そうしないと何も理解出来ないから。その映画が求めているところも。





北野作品もWikiとかいろいろ調べてみたけど、やはり批判はあります。
いや、批判があるのは当然で、批判がない作品は無い。人間の好き嫌いがあって当然。ただ、北野作品の影の立役者とでも言うべきプロデューサーである森昌行の方針である、「映画で大きな利益を上げようとは思っていない。制作費の回収と次作のための予算確保できればよい」という姿勢が好きだった。







そう、そこが私の創りたい映画の本質で。

面白い創作品が出来ればいいの。

でなくちゃつまらない。

利益主義の映画は好きじゃないから。




そんな考えもあります。ここに。




















あー
あと書き忘れた「女王の教室」。
あれほどクソ素晴らしい教育ドラマは、なかなか無い。(クソという単語はちょっとあれでしたが)


何故クソ素晴らしいか、
その意味がわかりますか!!!!?


わかっていてもいなくてもかまいませんが、
このドラマの本質はそこです。教育の本質も含めて。



































「思考停止人間にならない」ことです。























だから、まだブログを書こうと思います。
自分を見つける為に、世界を見つめる為に。

国分寺駅

20060604091517
ひろいとおもいます

フコウフクロン







誰だって傷を持っていて、誰だって傷を隠して、
気付かないもの、みえないもの、開きっぱなしの傷は痛いもの


嫌な過去とか、痛みとか見せびらかすことはなく、
その時にあったことを治し、直し、
今の原動力の一つにしている



今が痛かったら、開き直るか、立て直すかの二択  生きる場合の話
道行く人々に声を求めるか、助けてもらうか  あなた次第







どうして、またこういう痛くなる文章を書くかと言えば、
これはいつだって起こる事であり、いつ起きても可笑しくない事で、
いつ起きても立ち直らなくてはいけないからである     








痛みというものは、「人間を強くするもの」だと俺は信じていて、

もう、そういうものだと確信するべきだと感じている












そうしないと、生きることは無意味になるでしょ!!!!!?





世の中とも闘っているけど、自分とも闘っているのだから



































では、



仮に賭けよう 自我の人生というものに

地獄のような毎日なら死んでもいい、が、俺は生きている
それが段々と光を帯びて、いつか幸福に満ちるのが何%か!!!!!!?






















それは     じっとしていた場合

%は微塵も変わらない話しで





























その後は  極論   あなた次第だから













自分という存在をよく見つめることが始まりである

自分を客観視できたら素晴らしいことである

しかし、100%は不可能であろう














自分のクセ

人々との態度

感情の起伏

自分の思想


























人々はあなたを俺を知らなくて、俺はあなたは自分を知らなくて、

自分が知らなくていいと思ったことは話さなくて

それは人々は知らなくてはいけないことかもしれなくて

自分が折れなくてはいけない場面が来る時もあって

自分が折れてはいけない場面が来る時もあって












































話さなくて 何か進むわけでもない





























































正しさを信じて、祈って、進むだけ

































迷ったら進め




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