BOTTOMCOLOR-DIARY

The Avant-Garde Communication,Education,AND,,,,

完全不完全燃焼

何かに打ち込む者ほど、美しい者はない。

がんばらなくっちゃ、がんばらなくっちゃ。
ぼやき | コメント:0 | トラックバック:0 |

Syrup16g



ロックはファッション化されるのを嫌う

パンクはファッション化されるのをやや嫌う


声を聴かれた

足が止まった

「これを求めていたんだ」

また客が増えた


利益主義は嫌だって言ったって

声が広まった先には

大金が来てしまう

参ったこれでは

生活が出来てしまう


ロックはファッション化されるのを嫌う

パンクはファッション化されるのをやや嫌う


声を広めた

誰か食いついた

「こういうのがなくっちゃ」

犬みたいな顔して笑う


利益主義は嫌だって言ったって

声は広まっているよとっくに

大金はバンクで穏やかに眠り

参ったこれでは

生活が出来てしまうね


そうしてまた

ロックはファッション化されてゆくのだろう

パンクはファッション化されても気にしないんだろう


それでもカップラーメン食っていこうなんて

ちょっとナンセンスですって

あの人は言いそうです


ファッション化しているのはリスナーです

宝の山掘り当てるみたく 宝くじ当てた気分で

中毒的に浸る鼓膜

あの人はなんて言っているの

あの人はなんて言っているの


テレビは出ないからセーフラインです

あの人は言いそうです

本当に言いそうだ




 君に存在価値はあるか
 そしてその根拠とは何だ
 涙ながしてりゃ悲しいか
 心なんて一生不安さ

 I want to hear me
 生活はできそう?
 それはまだ
 計画を立てよう
 それも無駄

 こんな世界になっちまって
 君の声さえもう
 思い出せないや
(生活 from COPY)

 君は死んだ方がいい
 外の世界はどんな風
 後悔や四季や
 あと流星のキラめく世界

 サバを読んでも
 シンクロしてる振り
 独りぼっちがいい
 は犯罪者
(デイパス from COPY)

 程なく 人生を
 そつなく終えれば
 ヤクザも官僚も
 ロックのロクデナシも
 みんな負け犬でしょう
(負け犬 from COPY)

 Drawn the light
 Drawn the red

 死にたくない 神は
 ただ単純だらけの方が
 美しいから
「すべては愛」
 そりゃまあ
 ただ言っているだけなら同感
 そんな訳ないが

 昼間から向き合うmicrophone
 頭の隙間を流れる
 電車はのんびり屋
 歩道に朽ちてbicycle
 頭の柔い子供が叫んだ
 Won't be freak
(Drawn the light from COPY)

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Say hello to your cells.

Recently,,,,,,,,,
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ともだちってなんだったっけ

時計が廻るから精神論はさようなら

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Drawn the red

白く塗っているだけ

つまりは見えている部分だけ

黒く塗ってしまったのは

つまりは見せてない部分だね


そんなものは誰でも持ってると思うね

どこから話そうか 光の当たらない部分


死んだ方がいいやつはいっぱいいる

それはあなたにとっての嗅覚

死んだ方がいいと俺は思われている?

それは誰かにとっての嗅覚

丸く生きたいものですが

そうはいきません

そうしたら何かで勝つしかない

何かで勝つには

僕の何かを殺す

内面戦争は尽きません


白く塗りたいから

漂白剤でも絵具でも塗りつぶしているのです

君は知らないが

君はまだ白い方

本当に黒い奴なんて

客観視すらも出来ない馬鹿さ

言わなくちゃ

今日もあそこで

戦争が起きる


ぼやきうた | コメント:2 | トラックバック:0 |

僕のいない人生をキミは吸い込んでしまうんだろう

いくらでも絵の具を貸してあげるから

キミが望む世界とやらをノート一冊書いてみるか
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ドッペるゲンガー

君のうしろには君がいて

僕のうしろには僕がいて

君が立ってる裏っかわには僕がいて

僕が立ってる裏っかわには君がいて

そんな世界が世界であって

こんな世界が世界でなくて


ぼやき | コメント:0 | トラックバック:0 |

表裏




100 VOICES FROM JAPAN
反戦というものを考えていて、上記のようなものを見つけた。
これはミュージシャンであるニール・ヤングさんに関係性をもたらした、平和活動である。

正直、まだこのアルバムは聴いていないです。







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正答政治に裏があるとするならば

それはあやまちの他にはないだろう

反戦芸術の裏があるとするならば

それは尽きぬ情熱の他にはないだろう


芸術が真実を語るならば

国家政治は従わないで

僕はその歌い手についていくよ


そう自分のエゴが夢の中で貫いていた

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君は首相の仕事をやったことがあるかい

君は首相の仕事をこなせると思ったかい

命も狙われている事を想定内にしているかい

君は首相の責任を考えた事があるかい

君は京都議定書の事を考えた事があるかい

君は首脳会談の予定を立てた事があるかい

君は自国が本当に求めていることをうまくこなせるかい

君は体がおかしくなるまで国の為に考えた事があるかい

君は他国との友好、自国の紛争、新しき法律の対策を練った事あるかい

首相は馬鹿じゃなくて

馬鹿は首相をけなして

首相も参っちまうぜ


そうどこかの首相は夢の中で言っていた


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平和 | コメント:0 | トラックバック:0 |

音楽のルーツを探る




あなたはどんな曲が好き?私はこんな曲が好き。僕はあんな曲が好き。あいつはヒップなホップな曲が好き。あの子は実験的な曲が好き。
それぞれ、人それぞれ、たしなむ嗜好は違います。しかし何故違うかな?
それぞれの環境と教育の基で自分に合った音楽を聴くわけだ。
環境と教育というのは、性別と血液と遺伝子も影響に入る。
僕は男だから、やはり少々荒々しい音楽も受け入れる。最も、それは単なる固定観念。音楽を視聴しレビューするのを仕事にする人は、男女の性差は関係ないだろう。むろん批評の仕方は大分異なると思いますが。批評する人のキャパも関係ありますし。

僕は美術か音楽で生きて行くかという疑問を深く悩んできていた。両方やるというのは明らかに無理がある。一日にずっと絵を描いている人と、一日に絵と音楽をやっている人では、技術の差がかなり生じる。それは誰しもが言うものです。だけれども、言い換えれば、絵の中に音楽要素を持ち込むことも出来るし、音楽の中に(特に詞に)美術的要素を持ち込めるというメリット性もある。そして、僕は欲張りなのかも知れないが、美術と音楽の両方と付き合うことにした。そして、そのバランスを決めるのは気分。本能が示した方に僕は傾き、また揺らぐ。そうしたら、気が楽になっていた。
双方の本質は「表現する」ということ。必要な方を、その都度その都度に、表現する。もうジャンル分けするのには疲れた。表現するままに、僕は動いて示して行くだけ。話を戻そう。

僕が普通にジャンルを分けるならば「音楽」というもので、何を表現するか。それはこつこつ思想を固めて、じっくり紡いでいっています。その自分が表現するというつまり、未来に因果性を持つ行為が音楽の場合だと何を伝えるべきか。それにはまず、自分のルーツを探るべきだと思った。

最初に自分の興味から音楽を聞きだしたのは小学生中後半あたり。普通にポップスでした。というかテレビっ子ていうのもあったから、テレビを見てるとBGMがわりに音楽が流れて。街を歩けば音楽が流れて。ランキング番組はやるわ。日本は世界でも名高い音楽市場国なのです。そんな思考はガキの自分にないから、とりあえず自分の心地よいものを聞いてた。一番に求めてたのは「声」。テレビを行き交う中でも特に心地よいと思った声を求めてた。でも、それに関係性があるのは曲で。高音域と低音域の並びがいいのが俺の好きな声だった。というか単純に言えばテレビに出る人の「いい曲」と言われているやつです。あえて名前は言わないけど。

そういうものはもう聴かないのかなぁと思ったら、段々思考も付いてくると、いろんな意味をもたらすようになったのね。例えば、いい声が聴こえていたのも、CDにするにあたって、ノイズカットをしたり、小さい音域はイコライジングしたり。ソロ歌手だったら、バックバンドはプロがやっているわけだから、ここのギターリフおもろいなぁとか、どんなエフェクター使ってんのかなーと、「主観的に心地いいもの」を「客観的な技術演奏」を見る目になっていた。それは音楽をやっていくとすぐに身に付く思考である。昔持ってたCDも使い方一つで、考え方一つで大分変わった。

そして、それに関係性を持つのが、「詞に共感をしなくなった」ということ。単に全体作品としての目線に変わった。今はどんな唄を聴いても、ほとんど共感しない。共感しないというよりは、自分で全て受け止めてしまった。何かもやつきがあるとき、歌い手が代弁してそれに共感するものですが、今は、ほんと、BGMっぽくなっている。詞も一つの音程と響きで聴いている気がする。例えるなら、日本語の邦楽を洋楽を聴いている気分と同じ感覚で聴いている。

じゃあ僕はどんな音楽に共感する?前向きな?批判的な?童謡的な?実験的な?
実は今、すごく童謡にはまっている。次に実験的な。
余計な言葉を欲しがらなくなったことが一番の影響である。それは言い換えると、自分自身の思考の変化に関係する。寂しくなければいいのかもしれない。でも、そんなこともなかった。
好きな唄だったら、口ずさんでいた。記憶がそれを求めていたから。
別に童謡じゃなくても、口ずさんでいた。
それはストレス転写だと思う。その時に僕は内面の何かが、唄を欲していたのだろう。その歌詞に何か共感していたのだろう。

実験的な音楽とは何か?それは音楽の可能性を追求するものでもある。僕は(僕の音楽的キャパが少ないのだが例を上げると)bjorkにその可能性を見い出していた。アルバム「メダラ (medúlla)」は面白かった。インタビューでbjorkは「楽器ができることはもう終わったわ。私は楽器で音楽を作ることに飽きちゃったのよ。 今は演奏家よりもヴォーカリストと仕事をしたくなったの。へんな現象なんだけど。 政治、宗教、人種にとらわれない異教徒信仰に影響されたの。筋肉や血や肉を感じ取るようなアルバムを作りたかったの。」と言っている。最も、(実験的とか)こういうことが出来るのは、キャリアがあって技術がある(又は呼び起こせる)アーティストによって成り立っているものだと思う。他に実験的なものと言えば、メディアアーティストの銅金裕司さん。僕は5月に世田谷ものづくり学校で、銅金さんの展示の受付バイトをしていた。そのときに「プラントロン」という、一言だと「植物の音楽」です。植物の出す微弱な電波を機械等を使って、音楽(植物にとっては)にしています。詳しくはレポートブログの銅金さんの記事に加筆します。僕はそういうものも世の中に求めていた。ただ、そのようなことを僕が表現するかと言ったら、たぶん、もう無い。ほとんどの人がもうやってしまっているから。そういう音楽を探していたし。

bjorkはもちろん尊敬するアーティストだが、僕が日本のバンドとして尊敬している内の一つは、BUMP OF CHICKEN である。最初はあまり聴いていなかった。BUMPの前にbjorkに強く感銘を受けていて、そちらのルーツや歴史を探っていたからだ。ただ、高校になってバンドを組み、ギターを本格的にやる初期衝動が芽生えてから彼らをじっくり聴き始めていた。彼らのバンド自体は明らかに藤原さんの色を基に軸が出来ている。そして、バンドの色はもう一言だとビートルズである。日本のビートルズと言っていいだろう。いや、もう彼らは、日本のビートルズです。今月には無声映像作品のギルドがリリースされるが、それもビートルズのフィルム制作に因果はあると推測できる。隠しトラック(って触れていいのか?)は彼らによる架空バンドによる演奏だが、ビートルズのコンセプト・アルバムに影響を受けていると思われる。彼らの歴史を探れば、中3のバンドで(偶然的にも)ビートルズのカバーをしているわけだから、影響は尽きないだろう。
そして、僕は音楽家として人間として、藤原基央を強く尊敬する。彼のルーツは、ギターマガジンを読めばブルースやサザンロック、カントリーにブルーグラスと言う。彼はジェリー・ダグラスを尊敬しているようで。草むらに揺れる風のような音楽を彼は創っているのです。彼には大分、影響と思想をもらった。
彼のような(限定的ではないが)カントリーな音楽は耳に聴くにはとてもよいものである。だが、それを僕が表現するのかというのは、また話が違う。しかし、紛れも無く、人間を救う音楽を産みだす藤原の、BUMP OF CHICKENの音楽を僕は愛している。僕は彼らに救われた。

そんな表現を心の奥底では僕は求めていた。美術と音楽で。しかし、BUMPがいるから、そういうものにこだわる執着心は次第に薄れた。
僕はBOTTOMCOLORとAVANT-GARDEいう最大根源テーマを基軸に美術と音楽で表現していくというのは変わらない。

AVANT-GARDEに関連性を持ったつもりはないのだが、僕はパンクやグランジも好んでいた。特にパンクのDIY精神は甘ったれた考えをぶっこわす、素晴らしい精神論だ。批判的や破壊的行為の中の、意地とプライド。「自分でやります」という精神は最後の悪あがきでもあるが、それは「自立」という教育的背景も含ませる事が出来る。なんで、パンクとかが好きなのかなーと思ったら、自分が反抗的な性格だからだなぁって思った。自分の父親は尊敬しているけど大嫌いだし、あんな親父よりは越えてやるって思っている。そういう、パンク精神が自分を強くして自立させているんだなぁって。そう、思った。あと、現在の教育や(限定的だが)学校の考え方(というより先生)が大嫌いだから、それをパンクしたいなって強く思っている。BOTTOCOLORプロジェクトして考えるなら、「赤」の自分です。赤は革命の色だ。

で、で、そんなこんなの思想を踏まえながらリサーチしてて、すげぇ人を見つけた。すごいというか、こんなギターの弾き方を求めてた!!!!!!!!って、kaki king の「Playing With Pink Noise」のビデオを見て思った。ovationのギターを鳴らして。この人の映像を見て、芸術的だと思った。音楽とか美術とかって言うより芸術だなと。というかovationギターの無数の丸いサウンドホールがアバンギャルドアーティストの草間彌生の丸をインスピレーションさせちゃって。ちょっと、ごっちゃになってる。だが、あの弾き方はアメイジングすぎる!!!!!!!!!!!批評は沢山あるのですが、僕の中であれはすごく好き。彼女はbjorkに影響を受けていた。だが、接点は少ないかなー。

ということで私のルーツはごった煮ですね。ザゼンもすごく好きだし、他にも音楽的な影響を受けたアーティストは尽きない。結果的に僕は美術と音楽が合わさった(パワーを持った)複合的な表現が好きなのである。直にメディア―トやアコースティックな表現もどこかで意味を持って産まれて旅立つことでしょう。


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自発的向上教育




高等学校卒業程度認定試験(略して高認)の結果が届きました。
今は冷静ですが、結果を見た瞬間を文字に表すなら、
「うおおぉぉぉおおおぉぉぉおぉおぉおぉっぉおぉおぉぉおぉぉぉおっぉー」
という簡素的な文字具合です。

私事な苦労話はさておき、これにより私は高卒の者と同等であると証明されたが、が、が、しかし、それは一時の能力であろう。一生高卒程度の能力が持てているかといえば、それは不可能だろう。将来は仕事に応じた知識が80%を占めているんじゃないかな。残りの20%は礼儀と一般常識と余暇能力。

ここからは私のエゴになりますが、ある種の考えを提示したものです。

新しい教育制度に「自発的向上教育」というのを導入して頂きたいなと、
というか教育委員会に勤務しているホリセン(中学母校英語教師)さんに相談を持ち寄ろうと計画している。それはどのような事かと言えば、(これはある種普通科高校に提示している義務制度なのだが)高校二年次に高認を受けるか面接をして、受ける者は個人的に申し込む。年二回の試験を受ける。合格した時点で校長先生は卒業証書を授与する。卒業者は(学校に行く必要はないが)学校に行く(何か自発的に学ぶものがあるか、大学への課題を教師が与えるかのいずれ)か、アルバイトをして社会参画をしながら大学費用等を稼ぐ(稼いだ費用を学校に随時報告する制度でもよい)。アルバイトをするものは、残りの学校授業料を返還してもらう(修学旅行等に同行したい時はその都度の料金を払う)。
また、二年次の9月に合格したものは飛び級制度の大学もあるかと思われるので、受験したい者は大学受験をその年に行ってもよい。
3年次にも高認を受けるか面接を行う。最も、この時点で卒業単位は大分あると思われる(高認を受けたら1教科か2教科だろう)。3年次に受けたとしても一回目の高認が9月発表なので、一般的な授業カリキュラムと変わらなくなってくる。(ということもあり、この制度があった場合のメリットは、高校2年次の高認にあるだろう)


「大検」から「高認」となり、全日制高校の人も受験可能になったのに受けないというのは、制度の活用性がひとつもないじゃあないか。

私の今の立場は「生徒」でも「先生」でも無く、「フリーター」ではあるが、別に考えの提示をすることは問題無いと思う。それが実際の教育制度になるとは訳が違うからだ。しかし、私はこの新しい教育制度にデメリットは無いと思っている。だって、これ、自分で向上する意識さえあれば可能な事だから。

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デメリットは友人関係か?自分だけ大学費用稼いで学校行かない?
いや、そういうのも理解して、良き関係を保ってくれるのが友達でしょ?
いいんだ、批判してくれる人がいるのは救われている。努力の火になる。
関係無いけど、俺なんて高校1年次なんて週に2・3回くらいしか学校行ってなかったです。選択美術の日は絶対行ったけど。部活は音楽部と美術部を兼部していた。授業行かないで、部活は行って。ていう日もあって。それは甘ったれた生き方かもしれなかった。屋上作戦は失敗して。

でもね、教育問題はすげー考えてた。と思う。先生の授業チェックとかしてたもん。興味があることは義務でなくとも自然と努力を注ぐ。

最近の雑誌や新聞の教育記事を読んでみると、どうやら高校を評価する制度を導入するか検討しているらしい。そして、現在は実験的に、それをとある数校に導入している。先生の評価、それによる学校全体の評価。やっと教育する側とされる側の相対的な評価が得られるようになってきました。中学で数学のわかりづらい先生がいたんですよ。俺はそれで数学が、かなり苦手になった。なんか、周りの人々は塾に行って、数学を補っていたし。俺ん家は塾行けないから、すげー悔しかった。(それは逃げだったのかなーとも思う)でも、(高認の甲斐もあってか)今はかなり好きな方です。だけど俺は文系が基軸にあると思う。根っこは作文が好きなんです。

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さて、今年第二回目の高認の募集が始まりますが、あなたはいかがでしょうか。
でも、親の金フルに使った方がいいと思います。

毎日の授業に、何か(自分なりの)複合的な意味を持たせて授業を取り組むと、すごく意義のある日々になります。

俺はこの後は、大学勉強ですかね。でも、行きたい専門学校を見つけたのよ。

何はともあれ、創作活動に専念するだけだろう。


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