アーティストへの道。あと英語の勉強。The Avant-Garde Communication,Education,AND,,,,

2017-08
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短距離・中距離・長距離

陸上やっとる人は知っとるんだろうけど、短距離走と長距離走の人の筋肉の付き方は全くもって違うんよな。つか、正反対。短距離は一瞬のスピードを出すために、筋肉を付け、腕や足の往復運動を速くして、タイムを出す。長距離は筋肉を付けると体重が増えて、長く走るのには負荷がかかるために腕や足を細くする。で、人が短距離か長距離向きかっちゅうのは、生まれつき決まるらしい。生まれつき、どちら向きかの筋肉で生まれるっちゅうことです。あ、中距離ってのは800M走とかやったっけな。長距離はフルマラソン。のはず。で、俺はどっち向きかと言うと、長距離向きです。感覚的にも長距離をかなり楽しいと感じています。短距離は……という感じですわ。そいで、最近は左足のケイコツの痛みも引いてきたので、走ったわけよ。3キロぐらい。やっぱ楽しいわ。楽しいと感じるとスピードも上がる。この調子で、走る距離を増やして、最終的にフルマラソンぐらいまでいけよというくだらん願望。でも、最近は短距離も楽しくなってきた。んで思うんやけど、やっぱ、体力を高める事に越したことはないのよ。絵を描いているとどうしても、じっとすることが多くなる。そうすると、体力が落ちて、夏とかは辛くなっちゃうんです。だから、熱中症にはならん程度に運動するんよね。夜走るのもええけど、昼間の暑さにも耐えれる体を作るには日中も運動せなアカンて。風邪とか引くと発熱するが、運動して発熱にも慣れていると、風邪とかの発熱時に体力がうんと落ちずに済むんよな。運動して、夏には負けんぞ。話変わるが、絵というものは、「静」である。絵は言葉を発さず、ただ、観る人の眼との対話。観る人が受け取って、絵は言葉を発する。観る人の考えや価値観によって、その絵は無限の意味を持つ。ただ、絵を鑑賞するときは「静」であっても、絵を創るときは「動」でも可能だ。「動」を「静」に閉じ込める。どう閉じ込めるか。俺はほとんど静の状態で絵を描くより、動によって絵を描くほうが楽しいようだ。いや、体を動かして絵を描きたいのだと、身が欲している。そういう俺の今の考え。それは、運動できるという副産物があるから、欲しているわけなのかな。いや、わからん。でも、運動してると、なんかこうムズムズするのよね。運動してないときに、そう感じる。しかし、それは単に(運動したいという)自己欲求の考えから生まれた絵になってしまう。でも、そこから生まれた美術、作品(あんまこの漢字好きやない)、創り生まれたもの、生きた衝動(や、抽象文になっとるわ。わけわからん)。や、別に運動したいという自己欲求というわけでもない。そういう、表現の仕方、表現の一種や。そういう、表現をするための過程に過ぎん。結果的にそれは、その表現によってできた、創った、新たなもの。新たなアート。新たな衝動。静か動うんぬんではなく、アートへの挑戦。自分への挑戦か。あ、頭がこんがらがるぞ。
マシュー・バーニーさんよ、あんたはやばいな。8月にあんたの創り生んだもんを観に行くわ。いや、この眼球に焼き付けるわ。それが、アートをやっていくうえで、やるべきことかな。なんか、今日は長話。

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