アーティストへの道。あと英語の勉強。The Avant-Garde Communication,Education,AND,,,,

2017-10
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折れなければ素晴らしい

sora5.jpg


ついこの前までは風が強く、星がとても綺麗だった。
オリオン座もくっきり観えて、自分の星座はどこかと探す。
牡牛座はオリオンの近くだと知り、あれかなと目を凝らす。

火星が接近中で牡牛の近くだと知る。
やっぱりあれかなと目を凝らす。

星空を観るというか、宇宙を観ると、いつも思う。
人間も他の動物も、宇宙の営みの一つなら、することはない。
時の流れに沿うだけ。
いずれ人間も滅びて、また何か新たな生物が現れて、
また、滅びて。

それは宇宙の流れからの思想。

しかし、
一人の人間の思想として考えると、することはある。
やりたいことはある。やり遂げたいことがある。
それを放出してから、死のうか。

人間だけが生きることを否定できる。
生き方を選べる。腐ろうと思えば、いくらでも腐れる。
練磨すれば、いくらでも光る。だろう。

ファインアートがやりたい。
というか、やれる類。死ぬまで付き合ってもいい類。
他にもある。付き合える類。でも、わからん。
言葉にはなかなかできん。
気付いたら、行動で示していると思う。

こんな俺。

長い目で見てください。




-----
すんません、大分長い前置きでした。ええと、あれです。
ファインアートとイギリスについて書きたいと思います。
今のところ、自分は美術教育というものはあまり受けていません。
ほとんど独学や自己解釈ですが、それでも、今の意志が伝わればと思います。

・ファインアートについて
俺が最初、ファインアートっていう存在っちゅうか、在り方、表現方法を耳にし始めたのは、高校に入る前だったかな。美術雑誌をいろいろかじっていて、なんかね、その言葉がよく目に入った。でも、カタカナ語だからこうピン!とこなかった。なんやこれはと。んで、いろいろネットとかでリサーチしていると、「文際アートカレッジ」という学校を見つけて。これは海外芸術大学へ留学するのがコンセプトというか、そういう教育理念(ひとことでうまく言えない)。だから、そういう教育をしている。ここで言うファインアートというのは、……すんません、ズバッと言えんので抜粋します。

(文際アートカレッジ関連より抜粋)
<美術分野には、大きく分けて「ファインアート」と「デザイン」の2つがあります。デザインは、さらにファッションやインテリア、グラフィックなどに細かく分かれていますが、それらの共通点はそれぞれに機能(例えば服ならば、暖かく動きやすい)や目的(例えば部屋の中を明るい雰囲気にしたい)に応じて必要な色や形、空間を生み出すということ。自分が関わることで、他の人の生活に直接変化を与えることができる仕事です。それに対して「美」そのものを表現したり、自分自身の存在を表現するために、世界に対して新しいアイデアやビジョンを提案することがファインアートです。いわゆる絵画や彫刻はファインアートの分野に含まれます。絵画と彫刻の違いは、使う素材や作業する方法の違い(2次元・3次元)として説明できますが、現代美術ではあらゆる可能性が試みられているため、それらの素材や方法による分類が不可能になってしまいました。そこで全体をまとめるための言葉として、ファインアートという言葉が多く使われています。海外芸術大学には、絵画や彫刻、映像、パフォーマンスなどを自由に組み合わせて表現を学ぶ「ファインアート科」が数多く設置されています。>

で、もうちょっと調べてて、ファインアートの概念はもっと深いものからきてるらしいのだが、俺が言えるのは、俺が俺であることを、今感じる事、訴えたい事すべてひっくるめて、視覚効果にもたらし表現したのがファインアートだっちゅうこと。しかし、それが、その訴えがカネになる;経済媒体の一つになるかならんっちゅうことがキーなんじゃねぇかなって。でも、カネにならんと大規模な新たな表現は不可能に近くなる。でも、カネにならんたって趣味の範囲だろうがファインアートは可能だと。要は気合の問題だっちゅうの。これマジで。気合だろ。吐きたいことがあれば出来る限りの資産で最善を尽くすわけだ。でも、別にカネに結び付けなくてもええかなって。確かに自分が訴えたい事に、より忠実に再現したいという欲求はある。だから、より高度な技術やなんたらの類が必要になる。カネが必要や。まぁ、なんとも言えなくなってくるんだけど。や、しかしさ。結果的、最終的に、それは誰かの目を通すわけでっしゃろ。誰か見てくれなきゃイカンわけやろ。誰か見てくれなきゃイカンわけやろ。でっけぇオブジェ創って「よし、勿体無いから倉庫に入れとくか!」。って、あるかっちゅうの。そのオブジェがさ、自我の修練媒体だったら、ありえますわ。修練やなかったら、じゃ、あれだ。人に観させるもんだ。そういう気持ちなんかな。あんま、わかんねぇけど。評価がやっぱ欲しいんだよね。やっぱ。で、観た人がやっぱ思考するモンでなきゃなと、いつも思う。存在を共有したいんだよね。俺は。双方向性が欲しいの。訴えたから、今度はあなた方も思考して、何かアートじゃなくとも、訴えて、その繰り返し。その循環。それ、死ぬまで続ける。実を言うとアートって決まったわけじゃねぇけど、そういう思考や信念を芽吹かしたのは美術と、あと音楽。この二つは死ぬまで一緒にいるさ。きっと。いつ死ぬか知らんけど。まぁ、HPのトップに絵を載せたりしますけど、なんの為に載せてるのかわかんねぇ時もある。心情を描く時もあれば、モデルを描く事もあって。誰かが、どう思考してんのかなんてわからん。心理を読むけど、その極までは行き着いてねぇと思う。だから考えるんすけど。そうよ、考えるのって必要なんよ。ものごとの在り方を見つめるために必要なんよ。日々考えて、答えを出して、視聴覚媒体に還元する。それ、やっぱ捨てれないな、この信念。

・英国
で、海外については上のリンクをみるとわかるけど、じゃ、なんでイギリスやねんと。や、あのさ、イギリスってさアート教育が盛んで、世界で動くデザイナーやらなんたらってのは大多数がイギリスの教育を受けている。アート産業に、イギリス教育は必要だと。文際アートカレッジの説明会行ったんやけど、アート大学入る前に、ファンデーションコースっていうシステムがあって、自分のやりてぇことをやりまくって、改めて自分が表現したい媒体を見つけるっちゅうシステム。これおもれぇ!なんて俺は思ってて、ま、結局アート産業とか言うとるから、やっぱカネなんだよね。でも、カネに結びついてるってことは実際、成果が出てるって証拠なんだけど。で、日本の美術教育は遅れとる!なんて、よく聞く。でも、わかんねぇよ。俺、日本の美術大学は行った事ねぇし、なんか、日本人だから、変な気分。「え、日本だめなのかよ~」とか、よく思うんだけど。じゃ、在学しとる人はどんな気分なんじゃこれ。でも、割合的には、日本は遅れとるってのをよく聞く。こりゃ、なんとも言えねぇよ。でもさ、決めなくちゃいけないんだよね。今の時間の使い方が変わるから、早く決めないといけないんだよね。そこらへん。で、イギリスになってんだよね。今の所、俺の思考の中では。この考え、揺らぐかわかんね。周り見えてねぇかもしれない、きっと。

スクーリングパッド
いやね、俺は今この学校(と定義していいのか未だに断定できんが)に行ってて、つか、なんでこの学校に行ったかと言いますと、これも文際アートカレッジとか、いろいろリサーチ全盛期の話なんだけど、「教育」だ。教育だっちゅうの。高等学校に限らず、小・中、つか全部。その日本の教育どうなってんの。と、ある時考えまして。生徒の学体力低下の要因は、先生が腐ってんじゃねぇのかと。つか、教育システムがもうだめなんじゃねぇのかと。批判ばっかやってました。で、実際に教育関連の人とお話ができたり、在日韓国人教師とお話ができたわけですよ。そういう中で俺は、大体教育について、考えが整理できた。なんか、こんな感じなのかなって。どういうことかって、なんかさ、生徒は義務を詰め込まれているなと。教科の意味も在り方も考える前に、先生は「義務」を生徒と言う「箱」に詰め込んでいるなと。で、詰め込まれた後、吐き出す場所、自己表現地が薄れているなと。と、かなり抽象的ですわ。ここをどう具体的にシステム改善するかってのが、キーだわ。キーだわ。俺じゃ解決できねぇって。とか思った。一人じゃできねぇなって思った。一人じゃ批判しかできねぇんだなって。だから、伝えるんだよね、この考えをね。で、このスクーリング・パッドの概念の一つに、「双方向性」ってのがあってさ。今ある学校はコミュニケーションが薄れていると。先生だけが吐いてるだけの一方方向になっていると。ここにズコーンときたわけだ。この類な学校はあんまねぇぞと。で、行っているわけですが。やっぱ、なんか、みんなとがってるわ。トゲがすげぇね。感慨深いのよ。でも、発見がとても多い。一概に授業はこうなんですって言えんのだけど、発見をしたければできるし、発見したくなければ何も見つからん。要は、自分次第で全部転がってる。そんな学校。いや、でもさ、他に高校生いねぇからさ、社長さんとかいましたけど、大分ね、考えに芯が通ってきた。いろんな声を聞いたから、いろんなこと咀嚼できたってのは大きい。もうそろそろで卒業だわ。なんかJTの存在意義とか考えたりもするんだけどね、やっぱ思考だったわ。思考が世界を揺るがす動力だよ。って、毎週思う。いや、一言で締めれねぇよ。一言で言えるかっつうの。


・自我鍛錬の延長線に何が見えるか
体ボロボロになってもいいさ。
死にたくなるときもある。
生きる意味がわからん時もある。

いや、常に問うんだよね。
生きる意味ってなんやねんと。
で、この記事の最初にも書いたけど、意味はねぇなって。
ただ、身内とか絡めて、人間一人として考えてると、
やっぱ意味があんだよね。

で、答えを示すんだよ。
ある物事に対して、自己解決で終わらず。
発信だ、評価も含めて。
何を発信すべきか。
その信念、揺るぎない信念。
折れなければ、素晴らしい。
折れない信念、見つかるかな。
でも、それは日々変わってんだ。
ずっと追ってるさ。たぶん。



こんななげぇ記事読んでくれて、ありがとうございました。

コメント

この記事へのコメント

こんにちは!

コメント2度目になりますヒロです。
この記事の写真好きです!
今までとりあえず地面は水平になってるもんだと思ってきたので面白いです。随分…見え方が違う。
ところで、ファインアートのお話、
お時間のあるときでいいので
続きをお願いします。
では。

お待たせしました!

ヒロさん、やっと書き終わりました。
これで、少しでもご理解頂けたら幸いです。

読みました。ありがとうございます!

デザインとファインアートって違うのか!
まずそのことで驚きました。
どっちも表現であるとはいえ、「これを機能的に!」という制約のなかでどう自分を表現するかが「デザイン」で、ファインアートは世界にどう色をつけるか、素材・モチーフ(あるいは無)をどのように生かして自分をあらわすか、そして、あらわした自分の世界をどう確かなものにするか、そのためにどうやって周りとつながっていくかというところに比重があるんだな…ということを感じました。
生きるための表現なのか、
表現のために生きるのか、
多分どちらも表現(芸術)の本質なのだろうとは思いますが、
こういうことはつきつめていくと
深いところに向かえそうです。
コメントが何がなんだかわからなくなってしまって恐縮ですが、
おもしろかったです。
何かを伝えるものからは、
作者の「伝えたいなにか」があらわれますよね。
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